もう勝負ついてるから。

~次世代系社畜マガジン~

多分貴方の人生に影響する事ないと思うけど、自己紹介させて貰うよ。

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どうも、痩せようと思っても痩せないので、太ろうと思ってご飯食べてたら見事に太った氷太です。

そういえば自己紹介の記事を全く投稿していなかった。

本来なら1番初めに書いておくべきものだったのかもしれないが、全く頭になかった。

 

今日は自分の事についてネットリネバネバと説明していこうと思う。

バラ珍みたいな人生でもないので、特に面白くもないと思うんだけど・・・。

「いつも面白くねーだろカス!」

 

・・・うん、今日だけは黙っててくれまいか?

お互い流血沙汰は避けたいじゃろがい!?

 

まず何から書けばいいのかちら・・・。

このブログは社畜であることが1つの属性だから今までの仕事を軸にお話していくべきかな。

氷太ってどんな人?

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高校時代

茨城県の豊かな大地の中、スクスクと特産品である納豆の如く大豆が腐るように育った。

1番初めに仕事をしたのはマクドナルド。

高校の時だね。

オレの行ってた高校は「質実剛健」の理念を掲げる超厳しい学校だった。

剣道・柔道が特に強くて、玄関前で先生総出で持ち物検査が定期的に行われるような所だった。

 

この持ち物検査は生徒達にとっては恐怖でしかなかっただろう。

携帯の所持は校則で禁止されている。

抜き打ちで持ち物検査がある日に携帯を持っていると没収されてしまう。

 

ある日オレは「弁当箱の中に入れればさすがに見つからねーだろ」と

弁当食って中に入れていたんだがアッサリと見つかってしまった。

はっきり言う、ここの先生達は頭おかしい。

教師じゃなくって、捜査官になった方が良いのでは・・・?

普通見ないだろ弁当の中はさ!!

今まで弁当の中とか見た事なかったじゃないか!!(憤怒

 

まあウソを付けないオレの性格が災いしたのかもしんないけど。

「携帯持って来てるだろ?」

「・・・・。」

ああ、どこかにあるんだなと察知した上での行動なのかもしれない。

 

まあそういう学校だから勿論アルバイトも禁止。

だが当時のオレは反抗期心旺盛なお年頃。

退かぬ、媚びぬ、省みぬの精神を持ち合わせていた。

 

兄貴がマクドナルドでバイトしてて話を聞いていたので、俺もそうしようと決めていたんだけど駅前か、学校前の2択になる。

灯台下暗しとも言うし、学校前一択だな。

と非常にオツムの悪い思考を持ち合わせており、ツレの「ウッチー」を誘って2人で面接を受けた。

 

面接当日、ウッチーは15分遅れて登場する。

「絶対落ちたよ・・・。」

というウッチーを見て

絶対落ちただろ・・・と思いつつも

「肝っ玉の据わった奴だ!気に入った!!とかあるかもしれねーじゃん?」

と励ましてやった。

結果はオレだけが採用された。

世の中そんな甘くないんだなと思った。

 

マクドナルドの仕事内容 

男はレジに回される事はない。

兄貴の話通りだった。

ここでレジに回されていたらまさに飛んで火に入る夏の虫だ。

速攻停学処分になってしまう。

 

『バンズ』というパンを焼く仕事と、ハンバーグの部分『ミートパティ』を焼く仕事をすぐに任されるようになった。

店舗によって違いがあるかもしれないのだが、『バンズ』はレートと言ってその時間に応じたストックをして置かなければならなかった。

『ミートパティ』は・・・どうだったっけかな。

オーダーが入ってから焼くんだったと思う。

焼き終わると『デーデデデーデデデー♪』という音が鳴る。

1番初めだけは「オオオオ!!」と興奮したものだが・・・。

それ以降はどちらかというとクッソ不愉快だった。

 

この時、マクドナルドはハンバーガー・チーズバーガーを『半額の値段』に設定した狂気の時代だった。

ハンバーガー1個60円ちょっとくらいに設定した時代。

部活帰りの高校生が「ハンバーガー10個下さい」なんて珍しくなかった。

「ちょっとは節制しろよこのデブ!!」

ってよく思ってた。

いやデブかどうか知らんけど。

 

学校帰りから9時くらいまで毎日働いてた。

日曜もお願いされたら働いてた。

コンビニで買うピザマンとアンマンが美味しかったのを覚えている。

真っ暗になった帰り道をチャリンコ漕ぎながら、ちょっと大人な感覚になったのを覚えている。

 

3ヶ月くらい経ってから、アッセンブルというハンバーガーを組み立てる業務を習う事になる。

アッセンブルは早さと丁寧さを兼ね備えたスキルを求められる。

バンズ・ミート・フライヤー、どれも得意だったのだが、このアッセンブルだけはダメだった。

オレは非常に手先が不器用なのだ。

レタスを感覚で20グラム取るのも、いつまで経っても慣れなかった。

働く楽しさが苦痛に変わってしまい、結局半年程で辞めてしまった。

 

大学受験 

特にやりたい事もなかった。

職業適性診断をして貰った。

社会貢献制の高い職業か、何かを創り出す職業に向いていると判定された。

それなら警察官になろうかなとぼんやりと思った。

 

とはいえすぐ就職したいとも思わなかったので、専門学校に行こうと思ってた。

CMで「どこまーでも」ってやってるところ。

親もそれで良いと言うし、資料を貰ってダラダラと過ごしていた。

11月末の最終進路相談で、三者面談をした時に専門学校に行くと担任に伝えた。

 

事件が起こった。

親が泣いた。

大学に行って欲しいと親が泣いた。

 

それを見て今まで何をして来たのだろうと後悔した。

その日からやれる事だけやろうと決めた。

まず行きたい学部を決める事にした。

 

法律か哲学、この2つ以外は興味が沸かなかった。

センター試験まで1ヶ月ちょっとしかない。

この段階で英語は諦めた。

点数を伸ばすには、あまりに時間がなさ過ぎる。

数学も全く興味が出ないので除外した。

 

幸い国語だけは勉強していなくても点数は取れていた。

倫理は興味があったので、自分の性格的に伸ばせると思った。

 

センター試験上位3科目+個別試験上位2科目で合否を問われる大学を見つけた。

近畿大学だ。

センター試験は国語・倫理、あともう1つ。個別試験では国語と政治経済。

政治経済と倫理だけ勉強すれば、イケルんじゃないか?

そう考えて、倫理と政治経済だけを毎日10時間程勉強した。

 

結果、合格できた。

母親は泣いていた。

勉強して良かったと思った。

 

大学時代

大学とは別に、法律の専門学校に行こうとその資金を溜めるためアルバイトをしようと思った。

学校の時間に縛られない夜の仕事をしようと思い、キャバクラでホールのバイトする事にした。

向いていたのか、いつの間にか大学よりもキャバクラの仕事にのめり込むようになっていった。

 

1年目帰省した時に母親が倒れ、亡くなってしまった。

何の為に大学に行っていたのか、分からなくなってしまった。

今思えば、自分の為に大学行ったんだろと張っ倒してやりたいけれど・・・。

大学で学ぶ事よりも、働く事の楽しさの方が勝ってたんだと思う。 

 

1度留年してしまうけれど、やはり仕事ばかりしていたのでまた留年しかかる。

そこでもう大学は中退した。

これ以上、自分にとって無意味だと思った。

 

初めての正社員

1番レベルの高い所で働こう。

そう思い、大阪で高級クラブの並ぶ北新地で働く事にした。

ナイトクラブと呼ばれるところだ。

1時に北新地のクラブは終わる為、そのアフターで使用されるお店だ。

 

恐らくやはり向いていたんだと思う。

きっとオレは誰かをサポートする能力に長けていたんだと思う。

『ヘルプのスペシャリスト』と言われるようになっていった。

 

幹部の人も、凄く良い人達ばかりだった。

食に全く興味のなかったオレを、色々な所に連れて行ってくれた。

家族みたいだなと思った。

 

夕方の4時に出勤して、朝8時9時に帰るような仕事を3年続けていた。

ショータイムのようなものが2時くらいにあるのだが、ここでのオレの持ちネタは

裸になって、トイレットペーパーを体に巻き付けて、団扇で扇いで貰いながらTMレボリューションを熱唱する事。

トイレットペーパーで突風を浴びているように演出しているのがポイント。

 

意外にも好評で、1日に3・4回させられる時もあった。

若手芸人の過酷さが少し分かったような気がした。

鬱のようになる事もあった。

 

それでも自分の居場所が確かにそこにあった。

自分にしかできないと思える事も少なからずあった。

辞めようかな・・・と思う事はあってもまだいいかな・・・と留まっていた。

 

そこで事件が起こった。

見た事のないお客さんの席に付くと、いきなり頭からビールをかけられた。

そのオレの様子を見て、指を指しながら笑っているお客さんを見てぼんやり思った。

「オレって何でこの仕事してるんだろう・・・」って。

 

「あーおいしいいいいいいいいい!!」みたいな事を言って、事務所で予備のスーツに着替えた。

泣いてしまった。

自分のしている仕事に誇りを持てなくなってしまっていた。

その日、統括に辞める事を伝えた。

「いつでもいいから、好きな時に来て好きな時に帰っていいから居て欲しい」

と言われた。

その期待には応えられそうにないのに、その気持ちを裏切りたくなかった。

返事はできなかった、泣く事しかできなかった。

接客業なんて、2度とするもんかと固く誓った。

 

ニート生活が始まる 

確かこの時だったな。

テイルズオブヴェスペリア』が発売されたのは。

非常にやりこんだ。

何もない生活って素晴らしいなと思った。

 

時間に追われる事もなく、人との連絡を取る必要もない生活。

夢のようだった。

6ヶ月程ニート生活していたらお金が心許なくなってきた。

23・24歳くらいの人間がイキってデザイナーズマンションを借りてしまった為だ。

家賃の圧迫が凄まじい。

収入がない状態で、13万円なんて払っていける訳がない。

 

やりたい事も特にないし、テレアポが高時給だったので応募して採用された。

光回線を進める営業だった。

元々キャッシュバックサービスに力を入れていた為、初月からノルマは達成できた。

インセンティブも入り、お金が結構貰えた。

 

3か月目のある日、いつものように電話をしていたら社長に呼ばれた。

「氷太君、君のやってる事は営業じゃなくって接客だ。」

そう言われてしまった。

そこで気が付いてしまった。

ああ、オレって接客しかできない人間なんだなと。

それしか脳の無い凡人なんだと。

 

そこで前のナイトクラブでのお客さんの言葉を思い出した。

「ホテルと旅館の違いって何か知っとるか?」

相手が何をして欲しいのか察知して動くのが旅館の仕事。 

相手のリクエストを100%以上にして返すのがホテルの仕事。

攻めの旅館、守りのホテル。

お前は旅館に絶対に向いていると。 

 

旅館のHPを見て、求人を探した。

1つの古めかしい旅館が出てきた。

履歴書を送り、簡単な電話面接を行った後採用される事になった。

家を引き払い、デッカイスーツケースを持って、その旅館に向かった。

 

んで今に至る

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こんな感じでしょうかね!

そんなこんなで今現在、社畜歴6年目?を迎えちゃったのかな。タハッ!

ぶっちゃけ旅館選び、もっと慎重になれば良かった。

www.already-match.com

 

まあでも20代半ばの若造が、旅館に精通してるわけでもなく仕方なかったかなあ・・・。

そこだけ後悔してるけど、また接客業に戻って良かったと思ってる。

 

あれ?何故ブログを書こうと思ったのかについて、見事に触れていないな。

まあまたそれは別の機会に。

今後ともどうぞよしなに、三つ指立ててお待ち申し上げておりますぞ!

 

17/7/01 氷太

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